霧の里─風布

佐藤秀夫


 風布(ふっぷ)は埼玉県寄居町の西部(一部は長瀞町)に位置する山間の地域です。風布という地名は、霧が風にただよう様子から名付けられたと言われます。
 
私が風布に通い写真を撮っているのは、二つの理由があります。 その一つは、私の住む折原と風布は約2キロぐらいしか離れていないという地理的な理由です。
 そして、もう一つの理由は、風布と折原は、明治17年の秩父事件の際、精鋭部隊と言われた「風布隊」として共にに戦った歴史があるということです。
 私の住む折原からは多くの人が事件に参加しました。児玉町の金屋の戦闘で右手を失い死の間際「枕にして死ぬから手を捜してくれ」と言って死んだ人。傷ついた周三郎を背負い蓑山を越え、周三郎の生家近くの明善寺に運び、傷の手当てをしているところを官憲に周三郎と共に捕らわれた人。罪の軽かった多くの参加者も多額の罰金を科せられ、その後の生活は更に苦しくなったと聞きます。
 風布の人、大野福次郎のオルグにより風布、折原そして近隣の人達により「風布隊」は組織されました。福次郎は蜂起前夜に官憲に捕らわれます。周三郎が前線を離れた後の「風布隊」を含む部隊を指揮し、金屋の戦闘で戦死した大野苗吉の生家は山の傾斜地に点在する集落にあります。全戸をあげて参加した村は二つに分けられ「暴動に加わった犯罪者の村」の汚名を受けることになります。
 風布の人の勇気とその後の忍耐を思うと心が痛みますが、同時に私の中に勇気がわいてきます。私はパワーをもらうために、これからも風布でシャッター押すでしょう。   (佐藤)